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労働者党(ろうどうしゃとう、 パルティード・ドス・トラバリャドーレス、略称:)は、ブラジルの社会主義政党で、ジルマ・ルセフ大統領(2011年~)の与党である。ブラジル共産党(PCdoB)や民主労働党(PDT)、民主運動党(PMDB)などの左派・中道左派政党と連立を組んでいる。現在の党首(総裁)は、ルイ・ファルカン(Rui Falcão)〔O PARTIDO Diretório Nacional (PTホームページ)2012年11月10日閲覧〕。 ==概要== 軍政下の1980年2月、様々な労働運動家や知識人が結集して結成され、1982年2月に正式な政党登録がなされた〔O Partido(政党) 〕。規約では「民主的社会主義を建設することを目標としている」とした上で、「搾取、支配、抑圧、不平等、不正義、貧困を一掃するために闘う」と明記している。政治的には社会民主主義やマルクス主義、トロツキスト、キリスト教社会主義など、中道左派から極左までの幅広い政治勢力を結集している。また労働運動以外にも、環境保護や人権など多彩な分野の市民運動・社会運動活動家の参加もみられる。 PTの政党登録がなされたのと同じ年の11月に行われた国会議員選挙では党首のルーラは落選、下院で8議席を得るに留まった(得票率3.5%)。1988年の憲法改正により大統領直接選挙制が復活後、初めて行われた89年12月の大統領選挙では、ルーラが立候補したが決選投票でフェルナンド・コロール・デ・メロに敗れた(決選投票の得票率38%)。その後、1994年の議会選挙では前回(1990年)より得票と議席を大幅に増やしたが、同時に行われた大統領選挙ではフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(ブラジル社会民主党、略称:PSDB)に大差で敗れた。 1998年の大統領選挙でもルーラはカルドーゾ大統領に再び敗れたが、2002年10月の大統領選挙で6割余の得票を得て初の勝利を収めた。また同時に行われた国会議員選挙でも91議席を獲得し最大政党となった。そして、2006年10月の大統領選挙でもルーラが再選を果たし、PTは与党の座を維持した。この間、ルーラは貧困層向け家族手当「ボルサ・ファミリア」(Pragrama Bolsa Familia:PBF)〔PBFは、カルドーゾ政権(1995年-2002年)において一世帯あたりの月収が最低賃金の半分未満の低所得家庭を対象とした「条件付現金手当て」として実施されていた就学手当て(7~15歳の子どもを持つ家庭に学校への通学を条件として支給)、食糧手当て(妊婦や乳母、0~6歳の子どもを持つ場合において保険医療活動への参加を条件として支給)、ガス手当て(前2つと同じ所得条件の貧困家庭に家庭用ガス購入費用として支給)に加え、ルーラ政権で実施された食糧カードプログラムの4つを統合したものである。〕〔PBFでは対象となる低所得者世帯を、極貧家庭(月収が70レアル以下の家庭)と貧困家庭(70~140レアル以下の家庭)の二つに分け、子どもの通学や妊婦の予防接種を条件として現金給付する。なお支給額は子どもの数や年齢によって異なってくるが、極貧家庭の場合は子どもや妊婦の有無に関係なく、基礎的扶助として70レアルが支給される。〕の創設を柱とした社会政策を実施する一方、現実的な経済政策を採用し、ブラジル経済の成長を維持した。 2010年10月の大統領選挙では、ルーラ大統領の後継候補としてジルマ・ルセフ官房長官を擁立。決選投票でPSDBのジョゼ・セラ(サンパウロ州前知事)を抑えて勝利し、引き続き政権与党の座を維持。2014年10月の大統領選挙でもルセフ大統領が対立候補であるアネシア・ネベス(PSDB)を僅差で抑えて再選を果たし、ルーラ政権も含めると4期続けて政権与党の座を占めることになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「労働者党 (ブラジル)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Workers' Party (Brazil) 」があります。 スポンサード リンク
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